あの人は全てを受容することで形作られている。
そういう気質に、とりとめなく流れてく温い水のような温度に触れるたび、
身体中の血がざわざわとした。
自分の血は、あの人と対極に熱いんだと絶望した。
温度の違う人間はたぶん、交じり合うことはないから。
水と熱
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「こんちわー」
玄関を開けた時、ふわりと心地いい香りがした。
何の香りだろうと考える頭に、聞き慣れた平坦な声が響いた。
「あ、ヤンダだ」
「うす。メシ食いにきました」
ヤンダは言いながら顔を上げる。
そこには声の主、小岩井がいた――のだが、どうやら風呂上がりらしい。
髪は濡れて、タオルで頭をがしがしやっている。ああ、これは石鹸の匂いだ。
「小岩井さん、風呂上がり?」
「ん?うん」
「…よつばは」
「いないよ。お隣」
「なんで昼間から風呂入ってるんすかーしずかちゃんすか」
小岩井は居間に向かいながら、「夕べ仕事終わんなくて入れなかった」と言う。
その背中に続いて居間に向かいながら、漂う清潔な芳香に思考が奪われる。
「…玄関開いてましたけど。風呂入ってたんじゃ不用心すよ」
「んー…でも鍵かけちゃったら、よつば帰って来て入れないだろ」
言いながら小岩井は台所から麦茶を持ってきて、2つのコップに注いだ。
ヤンダはその所作を逐一眺めながら、腹辺りにちくちくしたものを抱えていた。
(ほんとにこの人は娘中心に物を考える)
(だから俺とか入って来ちゃうんすよ)
差し出された麦茶に短く礼を言う。小岩井はクーラーのスイッチを入れた。
「台所とか使っていいから」
「あ、すんません」
「俺部屋片付けてるから適当に」
「はい」
「あ、うちの昼飯、残りもんあるけど食う?」
「何すか」
「フレンチトースト。2枚残ってる」
「いただきます」
「ん」
今日は小岩井家の昼食は終わってしまったようだが、
ヤンダの昼食と小岩井家の昼食時間がかぶる場合、
ヤンダは相伴に預かっておかずをつついたり茶を飲んだりする。
そういう時は大抵よつばとバトルを繰り広げ、小岩井に座って食えと怒られる。
「…小岩井さん」
「んー」
「何で俺好きにさせとくんですか」
「は?」
「いや、我ながら飯貰ったり図々しいなあと思って。迷惑じゃないすか?」
小岩井はフレンチトーストをトースターに入れながら、よく分からないという顔をした。
「いや…なに急に。気持ち悪い」
「酷ェ」
「昔からこうじゃん、何を今更」
「昔から…」
「うん。急に殊勝になってどうしたー?」
言って小岩井は笑う。見慣れた、やんわりとした笑い顔。
昔からこうだ。
こういう笑顔を言葉を、見せられるたび聞くたびに血がざわざわと沸いた。
それが恋慕とか欲情とかだと気付いたのはどの位前だったか。
頭を抱えて「冗談じゃねぇ」と呟いたのを覚えている。今もそう思っている。
そして冗談ではないと自覚した時、絶望に似た衝動を噛み締めた。今のように。
「はい」
コトリと目の前に置かれたフレンチトーストの皿。
差し出した小岩井の腕が鼻先をかすめ、石鹸の匂いに理性が切れた。
「!」
こちらに延びていた右腕を掴み、更に左腕も押さえ付け両手の自由を奪う。
中腰だった小岩井は当たり負けして床にへたり込み、肩にかけていたバスタオルが床に落ちた。
「おい、ヤン――」
それは、殆んど体当たりのようなものだった。
覆い被さるようにして、唇を割り噛みつく。
小岩井の体は風呂上がりのくせに冷たく、しっとりと鼻先に突き刺さる。
(何で、この人の温度は、こんなに)
水のようなんだ。
対して、自分は身体中の血が全部頭に集まった気がした。熱い。
執拗に、キスを覚えたての中坊みたいに、息継ぎすら忘れて口付けた。
「……ッ」
ジ、ジ、ジ
ジィイ―――――――――
けたたましく蝉が鳴いて、ヤンダは一気に現実に引き戻された。
窓の余程近くで鳴いているのだろう、蝉の声は閉めきった部屋にもこだまして体に響く。
ヤンダはゆっくりと身体を離す。
小岩井はヤンダに解放されると、自らの腕を顔に乗せた。表情は隠れて見えない。
「……あの」
「…んー…」
「好きです」
「……順序逆じゃない…?」
はああ、と大きく息を吐きながら、小岩井は呆れたように呟いた。
「ヤンダ、若いなあ」
「駄目すか」
「…俺はね、そういうのは駄目だなー…」
「そういうのって何すか」
「恋愛」
「…これ、恋愛ですか?」
「お前が言ってきたのになんで俺に訊くの」
小岩井はおかしそうに笑った。もう声はいつもの穏やかさを取り戻している。
「…やっぱ好きです」
「うーん…俺もヤンダ好きだけど」
「俺の好きはやらしいことしたい好きです」
「物好きなぁ」
「自分でもそう思います」
起き上がった小岩井に、ヤンダは訊いた。
「やらしいことしていいですか?」
「おま、真顔で…嫌ですよ」
「じゃあもう一回キスさせて下さい」
「駄目だって」
「…じゃあ次に来た時その先から」
「なんでそうなる。しませんよ」
子供に言い聞かせるようにやんわりと言う。
「駄目なら鍵かけて下さい」
「は?」
「よつばが入れなくなっても、鍵かけたら俺も入れません」
「…よつばの事持ち出すのはどーなの」
「汚いですね。大人げない」
「ヤンダ」
少し顔をしかめた小岩井に、ヤンダは席を立った。
「帰ります」
「おい――」
小岩井の言葉を遮るように、ヤンダは目の前のフレンチトーストを指し言った。
「これ、貰ってっていいですか。皿返しに来ますから」
「…うん」
「どもっす」
玄関を出ると、むわっとした夏の空気がまとわりついた。息苦しい。
先ほどまでいたクーラーの効いた部屋と、冷たかった小岩井の体を思い出す。
「……あちー…」
車に乗り込み、焼けるような熱さにうんざりしながらエアコンを入れる。
口に放り込んだフレンチトーストはあの人の味付けで、蜂蜜の味がした。
甘かった。
「……皿、返しにこなくちゃな…」
きっと小岩井は鍵をかけない。
かけられない事を分かって、汚い啖呵を切った自分を嘲るように笑った。
(鍵かけられたら絶望するくせに)
ヤンダは出来るだけ振り返らないように、アクセルを踏み込んだ。
咀嚼した甘い塊が、熱い喉を滑り落ちていった。
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やんだには恥ずかしい感じが似合うと思うんです 青 少 年 !
後輩ってなんの後輩なんだか気になってます。大学?高校?いくつ違い?(ハアハア
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